【翻訳】ゲイ「治療」クリスチャン・キャンプからの脱出(イワン・マソウ著)

2017年8月14日月曜日

翻訳

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・記事紹介

 金融業のイワン・マソウ氏をゲイから「変換」させると約束したキリスト教系キャンプで、何があったのか? 彼は本当に「変換」したのか? 彼自身による体験記を、ぜひご覧下さい。
 原文はこちらになります。


※以下、イワン・マソウ氏の書いた体験記(英文)を日本語に翻訳したものです。
※翻訳・掲載にあたりイワン氏ご本人の許諾を得ています。


・はじめに

 私自身、それを考えたことがないと言ったらウソになる。ストレート(異性愛)に目覚めたらどんなだろう、と。そう考えたことのないゲイなんていないと思う。
 ある日突然ストレートになって、家の中を歩き回るのだろうか。
 サッカーの試合で汚いヤジを飛ばすのだろうか。
 乳母をいやらしい目つきで見るのだろうか。
 などなど。

 ゲイの「(ストレートへの)変換」は可能なのか? キリスト教原理主義者たちは、それが可能だと考えている。彼らは最近、ロンドンのバスに「ゲイはセラピーで治療可能」みたいなポスターを貼り出そうとした。ボリス・ジョンソン(当時のロンドン市長)がそれを阻んだので、言論の自由の危機だなんだと騒いだけれど。「BBCラジオ4」もその問題を取り上げていた。私は大いに考えさせられた。私、44歳のオープンリーゲイの男性は、彼らの言う「集中的なセラピーコース」で、「治る」のだろうか? その答えを知る方法は、一つしかない。

 アメリカのエクソダス・インターナショナル・フリーダム・カンファレンスが、その手のコースで最大のものだった。エクソダスは1976年に設立された国際的な団体だ。「同性愛に影響された(毒された)世界に、キリストのからだを用いて、恵みと真実をもたらす」のが彼らのミッションだそうだ。

 毎年、ミネソタの泊まり込みのカンファレンスには1200名ほどが参加している。スピーカーにはキリスト教原理主義団体のスターなんかもいて、「実践的な学び、感動的な証、ダイナミックな礼拝、そして愛深い交わりで盛りだくさんの日々」を提供してくれるという。コストは1人当たり1000ドル(10万円くらい)に近い。
 パンフレットを読む限り、スーパーマンの電話ボックス(クラーク・ケントが中で瞬時に変身して、スーパーマンになって出てくるアレ)みたいに聞こえる。私も本当にゲイとしてそこに入り、ストレートとなって飛び出すのだろうか?
 念のため、マントでも持って行こうかな?

・月曜日

 出発の準備中、エクソダスからメールが届いた。オンラインでもっと情報が見られるという。その中にこんな記事があった。「なぜ誰もが変化を求めるのか?」その記者は、「自分自身を信じていないからゲイなんだ」みたいなことを言われてとても葛藤したという。のちに希望の光を見出すまでは。

「自由を得て、同性愛指向から異性愛指向へ変化した」という有名人たちの様々な例を、彼は引用していた。女優のアン・ヘッシュ、映画監督のスティーブン・ダルドリー、コメディアンのジャッキー・クルーン・・・。
 ジャッキー・クルーンなら知ってる。私たちは同じ(同性愛指向という)問題を抱えていたはずだ。けれど彼女は今、ストレートの男性と落ち着いて、4人の子供をもうけている。スティーブン・ダルドリーのことはよく知らないけれど、同性婚をしていた過去があったはずだ。
 ジャッキーを呼んで、そのへんの話を聞いてみたいものだ。彼女、このカンファレンスのスピーカーじゃなかったっけ?
「クリスチャンがゲイ退治をしているなんてゾッとするわ」と彼女は言うだろう。「じゃあ逆に、つまらないストレート男性をゲイに変えるキャンプなんてあるの?」
 それはないと思う。

訳者注:アン・ヘッシュ、スティーブン・ダルドリー、ジャッキー・クルーンはそれぞれ、同性愛指向でなくバイセクシャルだと告白しています。

・火曜日

 私は一日早くミネソタ空港に着いて、セント・ポールのミシシッピ川沿いのホテルに入った。ミネソタは他より宗教っぽい州で、セント・ポールにゲイバーはたった一つしかない。「ゲイ最後の夜」を過ごすには、そこがいいと私は思った。
 バーに入ると、角のステージで誰かが「虹の彼方に」を歌っていた。群衆は主に超短髪のレズビアンらと、酔ったご婦人ら。どこにでもある光景だった。

 ヴィンスという年配のアフリカ系の男が、私のそばに来た。雑談の中で、彼はそれまでの人生を話してくれた。ヴィンスは宗教的な家庭に育った。母親に(ゲイであることを)カミングアウトすると、「神様が解決して下さるわ」と言われたという。
 彼は「祈りの力」でその「衝動」に勝利するよう、所属教会から追い立てられた(そして勝利したように思われた)。彼は「独身者の夕べ」で将来の妻に出会った。そして5人の子供をもうけた。
「でも俺はずっとゲイだったんだ」ヴィンスは言った。「俺はいつも男性の魅力に惹きつけられていたんだよ。それが去るように、祈って期待したけれどね」
 でもそれは去らなかった。結局、彼は全てを妻に打ち明けた。そして離婚した。彼自身はもっと別の方法、偽らなくて済む方法、女性の人生を破壊しなくて済む方法を取りたかったけれど。
 彼はそれで信仰を失ったという。

・水曜日

 朝、ミシシッピ銀行の周りをランニングすると、もうカンファレンスにチェックインする時間だった。
 会場であるノースウエスタン大学は、テレビ番組のロケ地みたいだった。完璧に刈られた芝生、美しい湖、葉の生い茂った木々。でもそこに集まっていたのは、ビクビクした顔つきでスーツケースを転がす若者たちの群れだった。
 登録は本館でやっていた。エクソダスのTシャツを着た笑顔のスタッフたちが案内してくれている。私の周りは明らかに全員ゲイだった。みんな黙り込んでて重苦しい。なんとなく「ゲイ・プライド」の登録みたいだった。プライドなんてどこにもなさそうだったけれど。

 私の部屋は寄宿舎だった。4人部屋だ。1人は20代のアジア系のジミー。彼はプロテスタントの両親の養子になるまで、カトマンズの路上で育ったという。ジミーの握手はとても弱々しく、ノロノロしていた。エクソダスに2倍の料金をふんだくられたんじゃないだろうか。
 もう1人のルームメイトもいた。ビルだ。彼は元海軍みたいな角刈りの年長者で、いかにも屋外活動が長かったような肌をしていた。
 と言っても本当は海軍兵でなく、自由気ままな身分のようだった。ビルは親子三代、同じ問題で葛藤しているんだと打ち明けてくれた。彼と彼の父親、そして彼の息子はみんな「不品行」を犯したという。ビルはその代償として27年間、結婚生活を送っているそうだ。
 もちろん、ここに集まっている他の大勢と同じく、彼はゲイになろうと願ったのではない。生れつきそうだったのだ。しかしそれは彼の宗教とは折り合いが悪かった。ビルにとって聖書の言葉は絶対だったという。だからその性的指向に沿った行動をする瞬間、神の律法を破っていると、彼は感じずにいられなかった。
「ここはまさに、自分自身を明け渡して平和を見出すことができる場所だ」彼は言った。「君たちと一緒にね」

 私たちは早めの夕飯をとるため、ビリー・グラハム食堂に行った(ビリー・グラハムとはここの元校長で、後にテレビ伝道者となった人物だ)。午後4時半だった。
 あたりを見回して驚いた。ビルや私のような年配者はわずかで、ほとんどが若く美しい十代後半から二十代前半の青年たちだったからだ。目のやり場に困って、ほとんど床を眺めるしかなかった。妙に悲しかった。

 それからカンファレンスホールに向かった。ビルが前列の席を確保してくれていた。夕方の部がカッコいいバンドの賛美と祈りで始まった。私は時差ボケだったけど、ノリノリになって手拍子を打った。
 それから真面目なのが始まった。アラン・チェンバーズの演壇だ。彼はここ10年エクソダス・インターナショナルの代表をしていて、演説にも精通している。彼は1991年にゲイであることを「やめた」という。以来、体に刻まれた(ゲイであるという)メッセージを、彼の脳は完全に忘れてしまったようだった。
 アランの紹介で1人のスピーカーが登場して、また雰囲気が変わった。今度は宗教っぽい奇抜なショーというより、断酒会(アルコール依存症の自助グループ)みたいになった。
 そのスピーカーの物語はこうだった。彼は父親に愛されなかったせいで「男らしさ」が大嫌いになり、結果的にゲイになった、という。それは論理的じゃないと私は思った。けれど他の皆はウンウン頷いている。「男らしさ」を手に入れれば自由(ストレート)になれるなんて、そんなはずはないだろう。いずれにせよ彼はまだ「同性(Same Sex)に魅力を感じる(Attraction)状態(略すとSSA。病気みたいだけど)」に甘んじている。でも「キリストを通して、そのような行為からは自由にされています」だそうだ。

 出席者らはあたたかい拍手を送ったけれど、私には、彼がまだまだ危なっかしいアル中患者みたいに見えた。なぜって、彼自身がこう言っていたから。「24時間365日、悲鳴をあげ続けるその『衝動』を、私は何とかしなきゃならないんです」
 それのどこが自由なんだろうか。生き地獄にハマっているとしか思えない。

 それはともかく、またバンドが出てきて、賛美を始めた。私はホッと一息ついた。他の皆は大はしゃぎだった。
 そしてまたアランが登壇して、とんでもない爆弾を投下した。彼は難しい顔でこう言ったのだ。
「はっきり言うけど、治療法はないんだ」
 気まずい沈黙が流れた。おいおい、そんなことパンフレットに書いてなかったぞ?

 アランは続けた。要は治療(という行為)でなく、「条件付け」が全てなんだ、と。彼自身もその方法を通して女性と結婚し、子供をもうけることができたという。今彼はこう考えている。「私の20年間に及ぶ葛藤は、実は神からのギフトだったんだ。そして私がゲイであることは、1日として変わらなかったんだ」
「条件付け」と彼は言った。それが彼らのキーだ。アメやムチを使い分けて、あなたを「あなたでない何か」に変えてあげましょう、ということだ。だったら私の母の方が、もっとうまい名前をそれに付けるだろう。「洗脳」だと。

訳者注

「条件付け」とは、「パブロフの犬」の実験で有名な、被験者のある行動を人為的に発現あるいは抑止させるための心理的手法です。映画『時計仕掛けのオレンジ』では主人公がこれを施され、強制的に「暴力を振るえない人間」にさせられました。もちろんそこまで劇的な効果が実際にあるかどうかは疑問ですが。

・木曜日

 早朝のランニング中、私はちょっと気味の悪い光景に気づいた。年配の太鼓腹の男たちが、若くてハンサムな青年たちに付き添って、キャンパスを歩いていたのだ。太鼓腹たちはカーキ色の半ズボンで、茶色い小さなケース(聖書なんかが十分入るヤツだ)を持っている。
 男たちは、影響を受けやすい若い魂たちに、ユートピア主義的かつ禁欲主義的な説教をしていた。若者たちが自ら世界を探求しようとする前に。それは青田刈りと言うか、若者たちを餌食にしているように見えた。

 寄宿舎に戻ると、新しいルームメイトに会った。ロブだ。デラウェアで教師をしている25歳で、昨夜遅くに着いたという。他の大勢と同じく、ロブもいたって普通に見えた。彼がゲイだとは(またクリスチャンだとは)誰も思わないに違いない。

 今日の最初のセッションはクリストファー・ユアンだった。彼は元ヤクの売人で、ゲイだった。彼はその経歴を少なくとも恥じてはいなかった。
「独身でいることは神からの賜物です」彼は自信満々でそう言った。「ゲイ(同性愛指向)の反対は、異性愛指向ではありません。それは聖さです」
 その日はどのセッションでも「独身の賜物」について語られた。独身でいることはそんなに悪くない、と。あるスピーカーはそれを「信仰深い」とさえ言った(そこで熱狂的な拍手が起こった)。私はすぐに気づいた。今日のレッスンは「俺たちには孤独な人生が待ってるぜ」みたいなものなんだと。年に1回、ここに集まって皆で連帯意識を感じる以外は、私たちは孤独なんだと。私はウンウン頷いている頭ばかりの室内を見回して、泣きたくなった。

 次に登壇したのはリッキー・シュレットという牧師だった。彼は、ゲイであることの責任は私たち自身にある、と言った。
 彼が示す「科学的と思われるグラフ」によると、3.5%の人間は、生れながらに「繊細」だという。ということは残りの96.5%は「粗暴」とも言うべきカテゴリーに入るらしい。そして「繊細」な子は、幼少期に「粗暴」な子たちと適切な人間関係を持てず、それゆえ思春期の頃にゲイに変わるのだ、と彼は主張した(つまり、繊細である私たちが悪いのだ、と)。
 ゲイの人々は(繊細ゆえに)よくアイコンタクトをすると言われていて、そういう「弱々しさ」は、彼に言わせれば「悪魔の働き」だそうだ(なぜアイコンタクトが「弱々しい」のかは不明)。

 でもそれは、私たちの落ち度ではない。それに解決の糸口はある。育児カウンセラーのメアリー・デマスは言う。「子育てのマニュアルがあったらいいのに、と親は言います」そして頭の上に聖書を掲げながら「でも彼らはすでに持っています」

・金曜日

 この朝は、ゲイに関する神の言葉を学ばなければならない。私が思うに、聖書にそのような記述はない。けれどジョナサン・ベリー(イギリスのトゥルー・フリーダム・トラストの主事)はそうは認めなかった。
 挫折の連続だった20年間の後、ゲイであることを放棄して、ジョナサンは「恵みに満ちた独身生活」を手に入れたという。
 続いて彼は、「創造論」について長々と熱弁しだした。私は疑い深い目でビルを見た。
「有名な話だけど、放射性炭素年代測定法(ざっくり言って進化論の根拠の一つ)には欠陥があるんだ」ビルは言う。「地球はまだ六千歳なんだよ」
「だとしたら恐竜はどうなる?」
「大洪水で絶滅したんだよ」
 ジョナサンはわめき続けている。彼の説をサポートしてくれる、都合のいい聖書箇所だけ「いいとこ取り」して。その中には、創世記の「女性は男性の助け手である」という記述もあった。でもそれだと、彼自身が独身なのを説明できないのでは?

 さて性教育の時間になった。タイトルは「いかに性欲を排除しつつ愛情を持つか」だった。その答えは、ジョナサンによるとシンプルだった。「聖霊が私の欲望を覆い尽くして下さる。だから私は欲望なんて感じなくなるんだ。そのことがわかって、神に3回叫んだよ」
 はい、性教育終わり。聖霊が何でもインスタントに解決してくれるそうだ。

 夕方の賛美礼拝が始まった。その頃には私はどの曲もわかるようになっていた。私は礼拝そのものには大変感銘を受けていた。
 夕方のセッションで、私たちは自分自身の姿を(自分が思う通りに)会場の壁に描いた。そしてその絵の「痛み」のある部分を、色ペンでマーキングした。まわりのどの顔も不幸せそうだった。ある顔はピエロのように笑っていた。ある顔は縄で首を吊っていた。誰もが惨めなセルフイメージしか持っていなかったのだ。

 参加者たちの(悲惨な)話の数々を思い出しながら、1人で寄宿舎に戻った。私はすっかり気分が滅入っていた。毎年大勢が、問題の解決を求めてこのカンファレンスに繰り返し参加している。その気持ちはわからないではない。しかし、ゲイ嫌いが何と主張しようとも、少なくとも同性愛指向という性衝動そのものの存在は、私たちの落ち度ではない。だからそれを受け入れて、同じゲイのパートナーとともに充実した人生を送るという選択肢だって、選んでいいはずだ。そうではないだろうか。

・土曜日

 コースの最終日を迎えた。このカンファレンスの偽りが、少し見えてきた気がする。
 昨夜遅く、私はGrindr(いわゆるゲイの出会い系アプリ)で、すぐ近くに3人見つけた。でも深夜の門限を過ぎていたから、連絡するのは不可能だったと思う。

 ワークショップで、私はトムの隣に座った。彼は22歳のブロンドで、南アフリカから来ていた。トムはすでに、(同性愛指向から異性愛指向への)「変換」のための特殊な施設に住んでいるという。彼のことを心配した両親が、金銭的にサポートしているんだと。初めは冗談かと私は思ったけれど、トムは真面目だった。「僕は聖書の全てを信じています」澄んだ青い瞳だった。「同性愛は罪なのです」

 しかし、新しい友人たちと外の芝生に座っている時、私は率直に尋ねてみた。「みんな本当に一生独身で過ごすつもりなの?」安心したことに、皆の答えはノーだった。
 ゲイの否定や独身の強要がなければ、このカンファレンスは、私たちが自己受容するのに役立ったと思う。将来的にどんな決断をするとしても、自己受容な大切なことだと思うから。

 しかし会場に戻ると、聞き飽きた(そしてありきたりな)文句が続いていた。ゲイは下品で、刹那的で、憎むべきものだと。薬物乱用の病気みたいなものだと。「全てのゲイが小児性愛者というわけではないけれど」などとあるスピーカーは言った。ありがちな固定観念をまくしたてるだけだった。
 そして再び、独身の重要性が強調されるのだった。「地球上で最も重要な男性(キリストのこと)だって、たった1人で歩いたんだから」
 今夜の説教の終わりに、ミニスターはこう叫んだ。
「あなたがたは荒野の時間を過ごさねばならない。なぜなら(同性愛という)罪を悔い改めなければならないから。暗闇の時間、孤独な時間に備えなさい!」
 はい、おやすみ。あなたもよく休んで。

・日曜日

 私は妙な解放感とともに目覚めた。
 私は「治った」のか? もちろん違う。むしろ以前に増して、自分がゲイであると感じられた。いずれにせよ、今までにないキャンプ三昧な1週間が終わった。

 しかしそこで見聞きしたことの酷さにかかわらず、私は落ち込んだり怒ったりしていなかった。エクソダスの人々は純粋に、かよわい魂を助けていると信じていた。でも講義はどれも、ゲイ嫌いの妄想と断罪的なメッセージに満ちいていた。それに少なからぬスピーカーたちは「ダークサイドからの案内人」に思われた。

 それでも参加者の多くは幸福を感じていた。別れ際、何人かが以前より同性愛指向を抑えられるようになったと話していた。抑えるのでなく、それを完全に放棄するよう警告されていたはずだけれど。
 彼らの多くは、ゲイであることを受け入れるくらいなら、自殺を選ぶという。しかし残りの人たちは、ゲイであることを否定されるくらいなら、信仰を捨てるという。まったく正反対の反応がある。つまりはそのような二極化が、このカンファレンスのもたらす結果なのだった。

 けれど、我々ゲイは、どちらか一方だけを選ばなければならないのだろうか。ゲイを捨てるか、信仰を捨てるか、そのどちらかなのだろうか。両者を結ぶ妥協点はないのだろうか。両者が納得できる、より良い目的のためのコミュニティ作りはできないのだろうか。
 聖書は英知と、豊かな人生への指針で満ちている。同性愛指向を否定するための書物ではない(しかしカンファレンスにおいては、残念ながらそのように利用されていた)。
 さて、カンファレンスでは散々「独身でいること」が強調されていたけれど、神ご自身はこうは言わないのだろうか?
「人が1人でいるのは良くない」と。

記事中の一部の名称は、個人情報保護のため変更してあります。

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