「インナーヒーリング」に見られる自分第一主義

2014年6月9日月曜日

「インナーヒーリング」問題

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 日本のキリスト教界に「インナーヒーリング」なるものが入ってきて久しい。「内なる癒し」とも呼ばれ、積極的に取り入れている教派や教会もある。クリスチャン個人がブログ等で、「インナーヒーリング受けてすっごく解放されました」とか書いているのも少なくない。

 インナーヒーリングは、自分でも覚えていないような過去の悲惨な出来事が、現在の自分に大きな(負の)影響を与えていると思われる場合、その過去の傷を癒さなければ精神的に健全になれない、というのが前提となっている。だからそういう過去の傷を聖霊に探ってもらう必要があって、そのためには専門的な学び(?)や訓練(?)を受けた人に関わってもらう必要がある、という訳だ。
 そしてインナーヒーリングを受ける過程の中で、たとえばこんなふうに言われる。「あなた自身は覚えてないけれど、幼少期に実の父から虐待を受けたことがあります。その傷が今、あなたの〇〇という問題として現れているのです」
 それで想像の中でその当時に戻り、イエス・キリストの御名によって癒しを受ける、という流れになる。「癒された」人は大喜びで、先のブログのような報告をすることになる。

 それが各教会や教団でどういう形で紹介されているのかよく知らないけれど、「新しい癒しの手法だ」とか、「真理の回復によって回復された聖霊による癒しだ」とか、何か新しいもののように扱われるのは間違っている。なぜならインナーヒーリングでやっているのは、フロイトの「精神分析」をキリスト教的に味付けしたものだからだ。精神分析学自体は、19世紀末に始まっている。

  いわゆる心理療法は現在、おおまかに4つに分類されていて、フロイトの精神分析はそのうちの1つに位置付けられている。そして4つの中で唯一、「過去」に重きを置いている。誰が始めたのか知らないけれど、その過去志向の精神分析を、キリスト教教理に絡ませたのが「インナーヒーリング」だ。そして、本人も覚えていない過去の傷を聖霊の洞察によって探るという点が、キリスト教が精神分析を補強できる点だ(本当に補強できているかどうかは別として)。

 この「インナーヒーリング」の問題点の一つは、効果を実証できない点にある。
 本人が覚えていない、まったく記憶にない出来事を「本当にあったこと」として指摘されるのだけれど、その療法にすがりたい人は、言われたことを無条件に信じるしかない。本当かどうか、という検討はできない。だいいち幼少期のある期間肉親から虐待されたとか、第三者から酷い目に遭わされたとか、傷つけられたとか、そういう可能性は誰にでも「ありそう」だ。それに覚えていないのだから、「そんなことはない」と否定もできない。「そう言われればあったのかもしれない」となるだろう。むしろ援助者(牧師など)に好意的な場合は、「やっぱり、そういうことだろうと思っていました」とか言うことになりそうだ。

 また、そうやって「聖霊に探り当てられた」過去の傷に対して、イエス・キリストの御名によって「癒し」を宣言する。それで一連のヒーリング活動は終わるのだけれど、その結果どうなったかは、本人の気持ち次第だ。
 経験者の方々に聞くと、「解放されたように感じます」「ずいぶん変わりました」などという答えが返ってくる(あくまで肯定的な人の場合だ)。けれどそれは感覚頼みであって、本人がその「治療」についてどう思いたいか、という主観が大いに混じっている。当然、時間と労力、場合によっては費用をかけたのだから、効果があったと思いたいはずだ。しかしそれは治療効果云々の話ではない。

 それに、イマイチ解放されなかった、というケースも多い。そういうケースは、牧師に言わせると、「まだまだ深い所に傷が残っている」「さらに過去に遡って傷を癒さなければならない」「他にもっと深い傷がある」ということらしい。けれどそんなこと言い出したらキリがない。次が癒されたら次、という具合に、過去をどんどん掘り返していかなければならなくなる。それに「まだまだ癒されなければならない傷が隠れている」と聞かされるだけで、人によっては絶望的な気分になる。いつ終わるのか、解決するのか、全然見通しが立たないからだ。

 それは結局のところ、人を「過去」に執着させるだけだ。あるいは「傷」に執着させるだけだ。そして一歩も前に進めなくさせる。他者に心を向けるのでなく、自分の内面にばかり目を向け、まだこの傷がある、まだこれが癒されなけばならない、という「自分第一主義」に陥ってしまうからだ。それは聖書の言っていることに反している。
「いや、人々に向かうためにまず自分が癒される必要があるのだ」とインナーヒーリング信奉者は言うだろう。しかしそういう傷が治るのを待っていたら、死ぬまで他者には向かえない

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